6つの子宮頸がん発症リスク

4人の子どもを持つシングルマザー、当てはまることがいくつかありました。

1.低年齢で性交渉をする

(若い女性に急増している原因とも言われてる)

2.複数のセックスパートナーがいる

これは女性に限る話ではありません。ご自身が一人のセックスパートナーしかいなくても

パートナーが不特定多数の相手と性交渉を行ってる場合にも当てはまるそうです。(怖い話ですが本当です)

3.多産

出産が多い女性でリスクが増加する可能性があると言われてます。

4.喫煙

これは、子宮頸がんに限らずガンにかかるリスクが高い。(国際ガン研究機関の調査による)

5.ピル

経口避妊薬を5年〜9年服用している場合、リスクは高い

6.ストレス

これはどの病気でもあてはまります。自己免疫力低下になるものです。

 

なぜ?47歳の私が・・

前回のブログのつづきになります。

多産・・35歳が最後のお産。

再婚して4人目を妊娠。臨月で主人の転勤に伴い、茨城へ引越し。

6年生・4年生・1年生となる子供たちの転校。

4月の転勤で、子供たちも私も全く土地勘のないところでの生活がスタート。

荷ほどきをしながら、子供たちの学校の手続きに追われてました。

引っ越し前に受け入れをお願いしに受診した産院から、予定日まであと3週間というところで、産院からうちの病院で出産OKです。と連絡をもらいホットしました。

誰も知っている人がいない、産気づくわけにはいかない、なんとか5月の連休に入るまでお腹のなかにいてね!と声をかけ続け、予定日より早く、

5月・連休前に無事4人目を自然分娩。

3人目までと違ったのは、夜中の授乳が起きれないこと。けっこうきつかったな。

また、3人が小学校ともなると、次から次へと行事はあるので、体を休ませることはなかなかできませんでした。

それでも、お産後の回復は良かったのです。

翌年8月。

主人のまさかの転勤が決まる。

中学生になっていた息子は、転校はしない!引っ越さない!僕は絶対にいかない!

単身赴任決定!ここから離婚まで主人不在の生活が始まったのです。

 

43歳、離婚。

いま思えば悩みに悩んだ2年でした。

この時に、28日周期を乱すことなく来ていた生理が止まったのをいまでも覚えています。

婦人科に行って、1回のホルモン注射ですぐ治りました。

35歳からの12年、あっというまでした。休む暇もなく、仕事に子育てにと時間に追われていた時です。

離婚問題は、精神的に追い込まれました。寝れない・たべれない・といったことも。

8月の検査結果を聞いた時に、この歳で発症するものなのですか?と先生に聞いた時に、

最後のお産が12年前。発症までに5年から10年かかるものだから

まさに、いま発症する時ですよ!!!

いま思えば、35歳の産後の私は、ストレスだらけだったんだと思うのです。

 

『ストレス漬け』

でもね、この年代っていくらでも無理が効いちゃうんです。

まだできる、まだ大丈夫!と自己暗示かけちゃってるんですよね。

この頃、私が悩まされたのが手の発疹だけで、それ以外体調を崩すこともなかったのです。

でも、この手の発疹が治らない、ひどくなることの方が多くて。

これが、体からのSOSだったのかもしれません。

 

だから、検査結果で『上皮内癌』と言われ、発症するまでの期間のことやリスクのことを聞いて

冷静になって考えてみたら、がん細胞の芽を消失したくても消失できるだけの免疫力が私の体には備わっていなっかたのでしょう。

でもね、この病気がマイナスとは思わなかったのです。

先生にも、

『たまたま違う理由で診察に来ただけだったのに、この段階で見つかることはすごいタイミングですよ』

『ラッキーです』と言われたのです。

そうかな?と半信半疑だったのですが、手術を受ける防衛医大で手術前検査をした時にも

こちらの婦人科の先生に、採血・採尿・心電図・レントゲンどれも異常もなく、至って健康体の数値なんです。

それなのに、子宮頸がんをこの段階で見つけることができたことってすごいです!と太鼓判を押されるように言われました。

もし、症状が出てから気付いたら、それはかなり進行している状態だったでしょうと。

きっとこれも私の運命であり、私にできることがあるはず!と思いました。

 

まさに生まれ変わる時 Re-born

私は、いままで多くの方に助けられてきました。

子供を産み、子育てが始まった時から、そして3人の子供を連れての離婚。

再婚して全く知らない土地、茨城への引越しでの6年間の生活の時、そしてあの東日本大震災のときも。

子供の進学、進級に合わせ埼玉に戻り新たな生活が始まりだした頃に、離婚問題

この時は、もう本当に精神的にも肉体的にも追い込まれボロボロだった時、

でもどうにかしたい!という思いだった時に出会ったのが、有限会社 Sui 社長 田中すみ子さんです。

これが、玄米酵素のSui酵素の出逢いでした。

藁にもすがる想い、そんな私を救ってくれた女性であり、心と体を元気に戻してくれた酵素サプリメント。

私もすみ子さんのように、誰かの役に立ちたい!酵素を飲んで元気になった私が思った事です。

 

そして、この酵素を伝えていくスタートの時に知り合ったのが、

株式会社アビリティ代表取締役社長 田原のり子さん。

のり子さんとお会いしたのは、20年になる友人、おもしろアート塾 松永泉さんが主催されたFBページのセミナーに参加した時です。

たくさんの方の前でお話されてるのり子さんを見ているうちに

『私もこんな女性になりたい!なる!』と思ったのです。

この2人の女性との出会いによって、多くの方との新たん出会いも私の人生を、人生観を180度、方向転換させてくれてます。そして、歩むことも。

のり子さんにたくさんサポートしていただきながらのビジネススタートをして

昨年、女性の健康とメノポーズ協会『女性の健康とワークライフバランス推進員』の資格をとる事もできました。

更年期カウンセラーYUKAがスタートした時です。

カウンセリングも私には、繰り返しの勉強となりました。でも、なにか足りてないような気がしてたのもあります。

 

そして、子宮頸がん発症。

前回のブログにも書きましたが、この勉強をしてなければ私は今でも気づかずにいたでしょう。

気づいた頃には、もっと大変なことになっていたのは、想像できることですね。

これをどう生かしていこう!この経験をどう伝えよう。

いえ、もうすぐにでも伝えていきたい気持ちでいっぱいなのです。

それは、人に出会うタイミングはいつでもその人にとって、ピンポイントでもありターニングポイントのときだから。

43歳の時からの出逢いと出来事は、自分の次なるステージへあがるために必要だったことだと。

もう一度初心に戻るかのように、原点を振り返る時間を病気が教えてくれたことなのです。

だから、私にとって子宮頸がんは、必然の出来事だったと。

(ガンっていうくらい大きなことじゃなければ、こいつには修行が足りん!)と神様が置いていったのかもしれません。

 

いま、新たな私が誕生です。

いままで両親からもらった愛情、親となるために4人の子供たちから教えてもらったこと。

人との出会いで得たもの、いろんな経験で学んだことを栄養として育った私。

3人の子供たちが私のもとから巣立ち、自立し始めた時が、私の更年期に重なったのも

子供たちと同じように、さらなる自立の人生を歩き出したのです。

 

女性にとっての更年期は、一人のの女性としての顔がイキイキと輝き出すときです♫

ひとりでも多くの女性の方と、さらに輝き続けて歩んでいけるよう、精進していきます。

100歳になって、笑っていられる女性でありたい YUKA です。

これからもどうぞよろしく願い申し上げます。  2017年 秋